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こま切れの世界
来週登壇するセミナーの枕で話そうとしてた内容に関連した話を、尊敬するお二人がたまさか同時にブログに書いていらっしゃった。メディアの視聴態度の変容などにより、ブランド認知の機会が減っているという内容である。
from_NY 山本直人のブログ
『「スバルってマツダが作ってるんですか?」と学生が言っちゃう理由。』
業界人間ベム
『テレビが果たした若年層のブランドコミュニケーション資産形成』
これら2つの記事の中では、以前は「一般の共通認識」であったはずのブランド認知やイメージが若年層において通用しなくなってきている現状が語られている。その要因として、メディア体験の変化によるものだとお二人は分析。「テレビよりネット」に起因するというのである。
私も打合せなんかでちょうどそういう話をしてたんだけども、これって、メディアプランがどんどん細かくなって余計なメディア露出とそれによる無駄なリーチが減っちゃってるってことだよなあと考えていた。テレビを見なくなるのと同時にネットで精緻なターゲティングが進むことによって、ターゲットとターゲット外とで認知や理解に大きな差が生まれる、ということなんだと。
世代間ということでいえば、これまでもあっただろう。まあ年齢で変化する感性によるってのもあるだろうけど、そもそも商品やサービス、広告などの施策だってデモグラ(性年齢属性)で層別に分けて「ターゲット」に当ててきたのだから。
この「ターゲット」というもののこれまでの流れとこれからを考えていくと、世代間ではもちろん同じ世代の中でもそういった「常識の差」は増えていくのではないかと思う。
差別化、という競争環境上の必然のチカラによって、商品やサービスは細分化した。生活者視点から見ると、ライフスタイルが細分化した、ということになる。デバイスやサービスの増加と変化でメディア接点だって、細分化した。
商品やサービスが細分化したってことは、そのひとつひとつの売上だって利益だってこま切れになる。生活者の嗜好の細分化に合わせて施策を細かくしなくては、という前に、そもそもの広告予算がこま切れになっていった、というのが実務レベルでの実感だ。「ファネル」の口の大きさが小さく=広告などの働きかけが到達する母数が小さくなっていくことになり、広告には精緻なターゲティングがますます必要とされ、テクノロジーやサイエンスが追いついてきてその流れは加速している。さらには、テレビという一番のマスメディアからの生活者の離脱。これだって、嗜好の細分化に適していない限定されたチャンネル数やリアルタイム視聴メインな長時間コンテンツってことに起因しているのではないかと思えてくる。
どんどん効率化が進み消費を生む循環のすべてが細分化してゆく。共通認識づくり、は幻想になっていく。
従来の、広告メディアを使って「ある層を狙う」というアプローチにもう限界があるのかもしれない。
砂場に磁石を持っていくと砂鉄がくっつく、というような、コンテンツなり施策なり「引力のあるネタ」をつくるというほうがよいのではないか、と思ったりもする今日このごろである。